昨今、働き方改革が進んでいますが、特に活発に議論されているのが「長時間の時間外労働」です。
しかしながら医師の長時間にわたる時間外労働は他の職種に比べて若干特殊です。
そして、その一因として挙げられるのが、医師特有の「応招義務(※)」だと言われています。
※本稿では、応召義務に関して「応招義務」の文言で統一しています。
「応招義務」とは
この概念は医師である先生方は皆さんご存知かと思いますが、念のため記載しますと医師法第19条に定められている一文によるものです。
医師法第19条
「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」
この概念のポイントは「正当な事由」にあります。
では、そもそも「正当な事由」とは何を指すのでしょうか。
正当な事由
その答えは、長らく1949年に発せられた通知を基に解されてきました。
診療に従事する医師又は歯科医師は医師法第一九条及び歯科医師法第一九条に規定してあるように、正当な事由がなければ患者からの診療のもとめを拒んではならない。
而して何が正当な事由であるかは、それぞれの具体的な場合において社会通念上健全と認められる道徳的な判断によるべきである<後略>
──昭和24年9月10日付医発第752号厚生省医務局長通知
戦後すぐに発せられたこの通知のポイントは、「戦後の混乱期」という発せられた背景そのものにあると言えます。
というのも、この通知を引用して詳細をみていくと、
(一) 医業報酬が不払であっても直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない。
(二) 診療時間を制限している場合であっても、これを理由として急施を要する患者の診療を拒むことは許されない。
(三) 特定人例えば特定の場所に勤務する人々のみの診療に従事する医師又は歯科医師であっても、緊急の治療を要する患者がある場合において、その近辺に他の診療に従事する医師又は歯科医師がいない場合には、やはり診療の求めに応じなければならない。
(四) 天候の不良等も、事実上往診の不可能な場合を除いては「正当の事由」には該当しない。
(五) 医師が自己の標榜する診療科名以外の診療科に属する疾病について診療を求められた場合も、患者がこれを了承する場合は一応正当の理由と認め得るが、了承しないで依然診療を求めるときは、応急の措置その他できるだけの範囲のことをしなければならない。
──昭和24年9月10日付医発第752号厚生省医務局長通知
とあります。
とはいえ、通知の言うところの「患者に与えるべき必要にして十分な診療」に関しては行き過ぎた治療ではなく、医学的にみて適正なものを指します。
実際、同通知では、入院する必要のない患者への入院治療は不要であるということも指摘されています。
当たり前のことかもしれませんが、戦後の混乱期ですので、診療費用などを払えない場合や緊急での診療のお願いがあった場合などが大いに想定されました。
そのような場合であっても道徳的な判断で診療するように、というお達しでもあります。
ただ、問題があったとすれば、これはその戦後の混乱期である日本だけでの話ではありませんでした。
つい数年前の日本でも「公式的には」この解釈で運用されていたのですが、現代では時代錯誤な箇所も出てしまっていたのは言うまでもありません。
義務と罰則
医師法が制定されたのは戦後の1948年のことですが、応招義務はそれ以前の1880年公布の旧刑法に遡る概念です。
旧刑法と記したとおり、こちらでは罰則が設けられていました。
第427条 左ノ諸件ヲ犯シタル者ハ一日以上三日以下ノ拘留ニ處シ又ハ二十錢以上一圓二十五錢以下ノ科料ニ處ス
<中略>
九 醫師隱婆事故ナクシテ急病人ノ招キニ應セサル者
──旧刑法(明治13年太政官布告第36号)
「醫師」はそのまま「医師」を指し、「隱婆」とは「穏婆(おんば)」のことであり、つまりは「産婆(助産師)」を指します。
その後、様々な背景により法律などが変化していく中においても、応招義務には罰則規定が設けられ続けました。
しかしながら、ご存じの通り、現在の医師法に基づいた「応招義務」には罰則規定はありません。
これは応招義務が公法上の義務(国に対しての義務)であり、一定の義務を課してこそいますが、その義務に対する違反があったとしても罰則がないことを指します。
(つまり応招義務は、法律用語でいうところの「訓示規定」となります。)
一方、医師法第7条2項には「医師としての品位を損するような行為」があった場合には免許の取り消しなども行い得ることが記載されています。
応招義務に応じなかった理由が「医師としての品位を損するような行為」として認められた場合には、公的に罰則が科される場合がある、ということです。
また、民事裁判などにおいて、診療を拒否したことで患者が損害を被ったとする場合、損害賠償責任を争う際に応招義務が争点となることはあります。
「診療を拒否しうる正当な事由であったかどうか」は、裁判において主軸となりえるのです。
医師の過重労働の一因
先述と重なりますが、医師の過重労働の一因として挙げられていたのは、医師特有の「応招義務」にあったと指摘されていました。
元々、「働き方改革関連法」が2019年4月より施行された際、医師においては働き方を長期的なスパンで改善していく必要があるとして、5年の猶予を与えられていました。
「医師の働き方改革」では、時間外労働の上限が原則年960時間(研修医など特例適用の場合は年1,860時間)などが2024年4月から適用されます。
言い換えれば、2024年4月が働き方改革のデッドラインとも言えます。
その一方、医療費削減の観点で80年代から進められてきた医師数の削減が、2010年代には先進国でも下から数えた方が早いという水準まで落ち込み、人手不足が指摘されてきました。
最近になって緩和してきましたが、それでも医師の育成や医業から離れている方の復帰には時間がかかりますので、人手不足はすぐに解消されるものではありません。
応招義務が法的な意味合い以上の意味合いをもってしまっている一方、70年も前の厚生省医務局長通知の解釈が公的に正しいものになっていることもあり、医師の過重労働は大きな問題となっています。
人手不足、時間外労働の上限が設けられること、少子高齢化と地域医療など、様々な要因が重なり、かねてより応招義務について整理する必要があると言われていました。
働き方改革との関係性
そんな中で事態が動いたのは、2019年12月のことでした。
厚生労働省の医政局長の通知により「応招義務」に関して大幅な見直しが入ります。
通知では、過去に医師法が制定された当時と現代においては、医療体制などが大きく変化しているや過重労働が問題になっている点を挙げた上で、改めて整理する必要性があることを正式に示しました。
その上で、
過去に発出された応招義務に係る通知等において示された行政解釈と本通知の関係については、<中略>今後は、基本的に本通知が妥当するものとする。
──厚生労働省医政局長通知「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」(医政発1225第4号)
としています。
この通達で重要な点は、現代の事情に沿った応招義務の範囲が初めて明確に示されたことにあります。
また労使協定・労働契約の範囲を超えた診療指示に関しても、使用者と勤務医の労働関係法令上の問題であって、応招義務の問題ではないとも示されました。
これは厚生労働省が急いで整備している働き方改革に対するひとつの答えとも受け取れます。
さらにこの通知では同時に、個別の事例ごとに「診療拒否の正当な事由かどうか」も整理されました。
昨今の社会情勢、実際の判例を元に、以下の場合は診療を拒否しても問題がないことが示されています。
【 診療拒否の正当な事由かどうかの判断ポイント 】
- 診療内容と関係がない患者の迷惑行為(例:医師へのストーキング行為など)により、医師との信頼関係が喪失している場合
- 患者に支払能力があるにもかかわらず、悪意をもって医療費を支払わない場合
- 制度上、特定の医療機関で対応すべきとされる感染症(例:1類・2類感染症)に罹患、もしくはその疑いのある患者等に対する、特定の医療機関でない医療機関における診療の場合
1項目は、実際の判例でも正当な事由にあたるとして医療機関側が勝訴となっている例があります。
3項目に関しては、昨今の情勢も大いに関係していると言えますが、改めて応招義務と絡めて明記された意義は大きいと言えます。
もちろん個別に考える必要はありますが、対応の指針を示されたことは非常に重要です。
まとめ
所属する医師会や組織などから直々に通知が来ていた先生方も多いかと思いますが、この件は「応招義務」のみならず、医師の働き方改革にも大きな影響を及ぼしています。
特労使協定・労働契約の範囲を超えた診療指示を「応招義務」の問題ではなく、労働問題であると結論づけたことは非常に大きな進歩と言って過言ではありません。
個別に考える必要はありますが、例えば応召義務があるからといって長時間労働などを強いられることは、労働法関係上で考えればもちろん正当とは言えませんよね。
元々働き方改革は、医師法などの概念から医師への適用は難しいとされてきました。
しかし、厚生労働省や関係各所により、ひとつひとつ着実に見直され、医師の働き方改革が進んでいることは間違いありません。
クラシスでは、今後も医師の働き方改革や無給医問題といった医師の労働問題の動向をしっかりとチェックしてまいります。
働き方にお悩みの方は是非一度ご相談ください。